1896年 明治三陸地震津波 |
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2017.5.13 |
1896年(明治29年)6月15日 明治三陸地震津波 (1896年明治三陸地震津波)。三陸沖M8.5の地震。震害はなし。 津波が北海道より牡鹿半島に至る海岸に襲来。死者343人(青森)、3,452 人(宮城)、6人〔北海道)、18,158人(岩手)。 津波高さは、三陸海岸南部の(現大船渡市三陸町)吉浜で24.4メートル、 綾里湾で38.2メートル、三陸海岸北部の田老で14.6メートル。津波はハワイ やカリフォルニアに到達。 |
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1933年 昭和三陸地震津波 |
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2017.5.13 |
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1933年(昭和8年)3月3日、昭和三陸地震津波(1933年昭和三陸地震津 波)。 三陸沖M8.1の地震。震害は少なく、家屋、船舶を含め被害のほとんど は、地震後30〜40分後から来襲した波高20メートルを越す津波によるもの。 死者3,064人。 津波高さは、綾里湾で28.2メートル。
2024.9.21 1944(昭和19)年12月7日午後1時に発生した東南海地震は、海洋プレー トの沈み込みに伴い発生したマグニチュード7.9(Mw8.0)の地震で、授業・ 勤務時間帯に重なったこともあり、学校や軍需工場等を中心に死者1,223人 の被害が発生した。 1944年東南海地震は、歴史上繰り返し発生してきた駿河トラフと南海トラ フ沿いを震源域とする地震であり、震度6弱相当以上となった範囲は、三重 県から静岡県の御前崎までの沿岸域の一部にまで及び、震源域は陸地に近い 海域で遠州沖地震とも呼ばれた. 津波は伊豆半島から紀伊半島までを襲った.津波高さは三重県で6〜9mが 報告された. 被害の概況は、三重県においては、熊野灘沿岸の津波被害、愛知県におい ては、埋立地である軍需工場(有名な三菱重工の零戦等の航空機工場など) が集中する地区での被害、静岡県においては、軟弱な泥質からなる沖積平野 地区において住家被害が見られるなど、被害の様相はさまざまであった。 この東南海地震の37日後、1945(昭和20)年1月13日午前3時に内陸直下 型の三河地震が発生し、死者は2,306人に達した。 (参考)内閣府HP 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3 月,1944 東南海地震・1945 三河地震
2024.9.21 昭和南海地震は、2年前の東南海地震に引き続き、1946年(昭和21年)12 月21日午前4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78km、深 さ24kmを震源としたマグニチュード8.0(Mw8.4)のプレート境界型巨大 地震である.すなわちフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈 み込む南海トラフ沿いで発生した.「1946年南海地震」とも呼ばれた. 南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生した。最大震度は 高知、香川、三重県等で6、死者・行方不明者は1,443名に及んだ. 津波は静岡県から九州沿岸に至る地域に来襲し、高知・三重。徳島の各県 で津波高さ4〜6mであった.津波の来襲時間は地震から10分未満で、十分な 避難時間の無い津波であった. (参考)Wikipedia 昭和南海地震 |
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2017.5.13 |
1960年(昭和35年)5月22日、チリ地震津波(1960年チリ地震津波)。 表面波マグニチュードMs8.5、モーメントマグニチュードMw9.5の地震。日本での死者142人。 南米チリ沖地震に伴う津浪が、22時間30分後に日本各地に襲来。三陸沿岸で5〜6メートル。 全津浪エネルギーの十分の一が日本に到達。 |
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2011年 東北地方(東日本)太平洋沖地震津波 |
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2017.5.13 |
2011年(平成23年)3月11日14時46分頃発生し3分以上継続したわが国に観測史上最大規模の東北地方(東日本)太平洋沖地震(M9)による津波。 震源域は日本海溝陸側に延長500km、幅300kmと広域であり、断層のすべり量20m以上。地震は3〜4個の震源が移動した振幅(揺れの波)を示した。 津波高は10m以上を超えた個所が多く、最大津波遡上高40m。 津波の波圧及び引き波の強い作用で、田老町(宮古市と合併)の高さ10mの防潮堤の多くが、また釜石の湾口防波堤(世界最大水深60mから捨石マウンドとケーソンで構築した混成堤)が倒壊した。 福島県太平洋沿岸の東京電力福島第一発電所に襲来した津波及び電力喪失によって、原子炉の冷却が不能となり、核燃料のメルトダウンが発生し高い放射能漏れが生じた。(現在も冷却中で、廃炉予定である) 災害関連死を含め岩手・宮城・福島県を中心に死者2万人。福島沿岸を中心に現在も帰宅の困難な被災者多数。 |
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