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火砕流(様々な形式)


(6)火砕流 pyroclastic flow
2022.1.3
 1912年のプレー火山の熱雲をもっとも詳細に研究したのはフランスの火山学者ラクロアであった。彼はそれまであまり知られていなかった特殊な火山現象であることを明らかにし,これをnue'e ardente(灼熱の雲)と呼んだのである。
 ところが,その年に同じく西インド諸島のスフリエール火山でも熱雲が起こった。同様な現象は1883年のクラカトア火山,1912年の力トマイ火山,1914年の桜島,1929年の北海道の駒ケ岳そのほかの活動でも見られた。
 このように,マグマに直接由来する高温の火山砕屑物が火山ガスとともに水平方向に流出する噴火現象は,ごく一般的な火山現象であることが明らかにされ,これを「火砕流」とよぶようになった。
 噴火記録や噴出物を調べてみると,火砕流は歴史時代に極めて頻繁に起こっており,しかも大きな被害を発生していることが明らかにされた。また,わが国をはじめ多くのカルデラ周辺には,この種の堆積物が広く分布し,これらはしばしば溶結凝灰岩となっていることも明らかにされた。
 火砕流は溶岩円頂丘または厚い溶岩流の一部が崩壊して生ずることもあるし,開かれた火口から生じたり,大規模なものでは割れ目噴火の形式をとることもあるといわれている。
 
(勝井義雄,1976より)

(6.1)世界の火砕流
2022.1.3
【プレー型火砕流】
 キューバ南西沖の西インド諸島マルチニク島には,熱雲と火山岩尖の噴出で有名なプレー火山(Mt.Pelee:禿げ山の意)がある。この火山のように,垂直方向に発達した溶岩円頂丘と熱雲の活動で特徴づけられる噴火をプレー式噴火またはプレー式火砕流という。
 プレー火山では1902年5月,小さな噴火のあと,山頂で大爆発が起こり,溶岩片・火山灰・火山ガスからなる熱雲(700℃〜1,000℃)が射出された。熱雲は秒速10〜40mという速さで山腹を掃過し,山麓のサン・ピエールの町の大部分と港に停泊中の船を焼き,28,000人の犠牲者を出した。
 この歴史的に有名な噴火は1時間たらずで終った。この破壊的な熱雲は,(鉛直的に)成長しつつあった極めて粘性の高い石英安山岩質の溶岩円頂丘の一部が爆発的に破壊し,一方向に射出されたものである。8月にも再び熱雲が発生し,11月には溶岩円頂丘の一角から有名な火山岩尖が塔のように成長し,比高最大340mに達したが,その後2・3年のうちに崩壊した。1929〜1932年にも同様な火山活動が行なわれている。

【メラピ型火砕流】
 ジャワ島のメラピは海抜2,911mの成層火山で,その山頂の火口では少なくとも1006年ごろから,しばしば溶岩円頂丘(または厚い舌状溶岩流)が現われ,それが破壊して火砕流を頻発するといった特徴ある噴火を続けている。
 火砕流は厚さ100mにも達する溶岩の末端が崩壊して生ずるもので,崩落した高温の岩屑なだれはしばしば1〜2km流出し,細かい岩屑・火山灰はその先数kmも流下し,きらに河川に入って火山泥流となって下流に運ばれる。溶岩が徐々に成長している間はこの種の火砕流がしきりに起こり,また降雨で溶岩の表面が急冷されて割れ目がはいると溶岩の崩落が促進され,その発生は1ヵ月に2,000回以上に達することがある。
 最近の活動では1969年から厚い舌状溶岩流が噴出し,しばしば同様な火砕流を生じた。1972年10月には頂上部で大崩壊がおこり,総計0.7km3におよぶ岩屑・火山灰が,約75km2の面積をおおった。以上のような火砕流をメラピ型熱雲とよぶ。

【スフリエール型火砕流】
 西インド諸島のセント・ビンセント島にあるスフリェール(Soufriere:硫黄山の意)は,1902年に隣のマルチニク島で悲劇的なプレーの熱雲が起こった前日,同じく熱雲を生じ,1,565名の生命をうばった。この熱雲は,開かれた火口から垂直に上昇する噴煙柱からわかれた噴出物が重力によって山体斜面を流れ出したもので,プレーの熱雲とは発生機構を異にしており,流速は遅く,またやや低温であった。これをセント・ビンセント型熱雲(またはスフリエール型熱雲)とよんでいる。活動の概要はつぎのように記録されている。
 スフリエールでは1年以上も鳴動や地震が続いたあとの1902年5月6日,頂上火口から水蒸気が吹き出し,火口湖の水は火山泥流となって排出された。翌7日,火山灰をふくむ黒煙が高く昇り,北方に降灰がはじまった。午後2時・噴火は極大に達し,噴煙柱は垂直に1万数千mも高く昇り,その下方からわかれた黒煙が熱雲となって西方の谷に沿って流下し海岸に達した。熱雲は途中で山林や家屋を焼いたが,火災の発生はプレーの熱雲より少なく,やや低温であったと推定きれている。また,その流速は毎時30〜45kmほどで,それほど速くはなかった。この噴火で約0.38km3(一説によれば1.4km3)の安山岩質マグマが火山灰・火山礫・火山岩塊などとなって放出されたが,このうら熱雲堆積物は0.025km3で,全体の15分の1またはそれ以下にすぎなかった。
 熱雲堆積物は数%の火山岩塊・火山弾,15〜30%の火山礫をふくんでいたが,大部分は火山灰からなっていた。この火山灰中には多量の斑晶鉱物が濃集しており,おそらく上昇する噴煙柱の中で比較的重い岩片や結晶が基部に集まり,重力の作用で流下し,熱雲となったものと考えられている。

【インドネシア・クラカトア1883年の軽石流とカルデラ陥没】

【アラスカ半島・カトマイ1912年の軽石流とカルデラ陥没】

(勝井義雄,1976より)

【フィリピン・ピナツボ火山1991年の火砕流】

(準備中)

(6.2)日本の火砕流
2022.1.3


【浅間山1783年の火砕流】

【渡島半島・駒ヶ岳1929年の軽石流】

(勝井義雄,1976より)

【島原半島・雲仙普賢岳1991年の火砕流】

【小笠原諸島・三宅島2000年の低温火砕流】

(準備中)
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