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中性〜酸性岩の噴火様式


(4)ブルカノ式噴火 Vulcanian eruption
2019.2.23
 この噴火形式は1888〜1890年に起こった地中海のブルカノ島の火山活動に対して名づけられたものである。1888年,ブルカノ火山では,永い活動の休止期の間に閉鎖されてしまった火口が、まず強い水蒸気爆発によって開口された。このような爆発を「ウルトラブルカノ式噴火」という。「ブルカノ式噴火」は、この活動に引き続き行なわれたもので,新しいマグマによる爆発が起こり,火山岩塊・パン皮火弾・火山礫・火山灰などが激しく噴出した。火口付近には、100トンもある大型の火山岩塊が落下したが、スロンボリ式噴火ではごく普通に噴出される紡錘形火山弾は発見されなかった。また溶岩の流出もなかった。
 このような噴火は,粘性に富むマグマが火口底まで上昇し,それが爆発的に破壊して激しく噴火したものである。
この形式の噴火では、一度の爆発により多量のエネルギーを消費するため、爆発と爆発の間隔は、ストロンボリ式噴火に比べて一般に長い。
 ブルカノ式噴火をもたらすマグマは,一般にストロンボリ噴火の場合より粘性が大きく,安山岩または粗面安山岩質のものである。

 わが国の火山では,多くの場合,安山岩質マグマを噴出するため、一般にブルカノ式噴火またはこれに近い活動が行なわれている。その代表的なものは、長野と群馬の県境にある浅間山である。
 浅間山は,有史以来、今日まで,爆発的噴火を繰り返しており、最近の噴火では、わずか1〜2分間に,多い時は数10万トンのマグマが火山岩塊・パン皮火山弾・軽石・火山灰などとなって爆発的に噴出している。
 火山岩塊や火山弾などは、火口から5qもはなれたところまで吹きとばされることがあり,また、火山灰は火山ガスとともに火口から垂直に1000m以上も吹きあげられ,偏西風にのって関東平野まで降ることがある。爆発による空振のため,軽井沢や小諸の人家の窓ガラスが破れることも珍しくない。また、この爆発音は,200kmも離れた近畿・新潟地方でも聞こえることがある。
 もちろん浅間山の活動にも消長がある。天明3年(1783)には,大噴火が起こり,多量の軽石・火山灰が噴出し,火砕流が発生して多数の人命を奪い,最後に鬼出し溶岩が流出した。これに比べると最近の活動は小規模なものである。

(勝井義雄,1976より)

(4.1)ブルカノ式混合噴火
2019.2.23
 典型的なプルカノ式噴火では溶岩の流出をみないが,上述の浅間山天明の噴火のように,激しい爆発に伴って溶岩を噴出する例が少なくない。このような混合噴火の場合,溶岩は爆発的活動の後期に噴出することが多く,通常,厚い塊状溶山を生ずる。マグマの粘性がさらに高ければ舌状の溶岩または溶岩円頂丘となる。

 わが国におけるブルカノ式の混合噴火で,最も典型的な例は,桜島の活動であり,これを「桜島式活動」とよぶ人もいる。
南九州の鹿児島湾の北部は,姶良カルデラにあたり,その南縁に桜島がそびえている。
 この火山は.もとは湾内の島であったが,1914年の噴火のとき流出した溶岩がもとで瀬戸海峡をうずめ,対岸の大隅半島とつながり,半島となった。桜島には708年から活動記録があり,とくに文明(1468〜1478年),安永(1779〜1781年)および大正(1914年)の噴火では安山岩質の軽石・火山灰とともに溶岩を流出している。

 有名な大正の噴火はつぎのように記録されている。
 1914年1月10日朝,鹿児島では地震を感じ,地震はしだいに回数を増し強くなった。12日朝8時になると山頂に白煙があがり,10時には西山腹に大爆発が起こり,軽石・火山灰は火山ガスとともに黒煙となって6,000mの上空に吹きあがり,雷光がひらめき,降灰がはじまった。西側山麓の爆発の10分後,東側山腹でも大爆発が起こった。
 こうして全島は噴煙につつまれてしまい,なおも爆発がつづいた。13日早朝になると爆発はおとろえ,午後には溶岩の流出がはじまった。溶岩の流出は西側山腹では翌年1月まで,東側山腹では4月ころまで続いた。溶岩は安山岩質で流れが遅く,噴火直後から24時間で約3km流れたにすぎない。瀬戸海峡が封鎖されたのは1月29日であった。
 この噴火で降下堆積した軽石・火山灰の厚さは桜島で2mを超え,東方20kmの地点で0.7m,35kmの地点でも0.3mに達し,遠く関東・東北地方にも降灰がみられた。溶岩流は合計23km2の面積をおおい,その量は1.6km3と推定されている。

(勝井義雄,1976より)

(5)プリニー式噴火 Plinian eruption
 西暦79年のベスビアス火山の活動は歴史的に有名な大噴火である。この噴火で大量の軽石・火山灰が空中高く噴出し・降下軽石はポンペイの町をうずめ,火山泥流も発生した。この永い休止期のあとに起こった激しい軽石噴火を典型として,しばしばプリニ一式噴火という用語が使われている。

 ベスビアスは,BC72年ごろには頂上に広い火口をもつ高さ約2000mの火山で、AD20年頃には噴気すら認めえなかったらしい。
 AD63年にはこの地方に大地震がおそい,そののちもしばしば地震が起こった。
 AD79年8月24日昼ごろ,山頂から黒煙が上りはじめた。噴煙は火口上高く上昇し,きのこ状の噴火雲となり,その形はイタリア松に似ていた。このようにして約2日間にわたり激しい噴火がつづき,初めに多量の白い軽石・火山灰が噴出し,軽石はしだいに灰色になり,最後に少量の火山礫・火山灰が噴出した。
 この間噴出物の組成はフォノライト質からしだいに、苦鉄質になり,最後はテフライト質となった(これはともにカリウムに富むアルカリ岩系の火山岩で,フォノライトは珪長質岩,テフライトは苦鉄質岩)。
 噴出した大量の降下軽石は東麓側のポンペイの町を埋積し,その層厚は3m以上におよんだ。この噴火の後期に側方から溶岩も流出した。濃厚な噴煙を通過して降る雨は火山豆石をつくり,また降雨は軽石・火山灰の堆積物を流し出し,それが火山泥流となって西麓の降灰を受けなったヘルキュラニウムの町を何回も襲った。リットマンによれば,この噴火が終ったとき,火山の頂上部は陥没しカルデラが形成された。そのカルデラ壁は現在のソンマとよばれているもので,この名称は外輪山という普通名詞としても使われている。その後約1世紀のあいだ活動が止み,AD172年に活動が再開し,カルデラ内に現在のベスビアスが生長した。
以上がAD79年のベスビアスの大噴火の概要である。

(勝井義雄,1976より)
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