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世界の大噴火と火山学誕生


世界の大噴火と測候所の創立
2015.11.29
 19世紀から20世紀初頭には多くの注目すべき火山活動があった。 インドネシアのクラカトア火山は,1883年に多量の降下軽石と軽石流を噴出し,カルデラ陥没を起こし,同時に津波が発生して多数の犠牲者をだした。この噴火はイギリスの王立協会クラカトア委員会(1888),フェルピーク(1886)などにより詳細に研究された。

 1888年には磐梯山が爆発し・関谷清景・菊地安が調査している。 また,小アンチル諸島のプレー火山は,1902年に熱雲を噴出し多くの生命をうばった。これについてはラクロア(1904),ジャッガー(1904)などの報告がある。

 1914年には桜島が大噴火を起こし,広く火山灰を降らし,溶岩は東の海峡を埋め桜島は大隅半島と陸続きになった。この噴火の調査には,ベスピアス火山観測所からペレット,ハワイ火山観測所からジャッガーなども来日し,日本では小藤文次郎(1916)と大森房吉(1922)が詳細に研究している。
 これらの噴火は研究者に刺激をあたえ,火山研究が一層促進された。

 頻繁に活動を繰り返す火山では,連続観測による研究が必要とされる。1847年ベスビァス火山にはじめて火山観測所が創設され,1911年に浅間山,1912年にハワイにもそれぞれ観測所が創設された。

 大森房吉は1910年の北海道有森岳の噴火活動で,はじめて地震計を用いて観測を行なった。その後,浅間山やハワイの火山観測所でもこのような地震観測が行なわれるようになった。

 その後,阿蘇山,桜島,クリューチェフスコイなどをはじめ,世界各地に火山観測所が設立され,常時観測がはじめられた。

 現在日本では,以上のほかに主要活火山に対する気象庁の観測施設がある。このような火山観測所では,各種の地球物理学的観測が行なわれ成果をおさめつつある。このほか・溶岩・放出物・火山ガスなどの化学的性質も調べられ,その結果,噴火機構の解明や噴火予知への道がひらかれた。

(勝井義雄,1976)

火山学の誕生
2015.11.29
 上記のようにして発展してきた火山研究は,さらに国際的な研究組織の必要性が痛感され,1919年に国際火山学協会が生まれた。またシュナイダー(1911),ボルフ(1914,1931),ザッパー(1927),リットマン(1936)などの火山学の教科書も出版され,火山学は,はじめて自然科学の独立した一分野となった

 この時期における火山研究では,火山地形・火山構造・火山岩の研究ばかりでなく,マグマが地表に噴出する狭義の火山現象から,さらにマグマの発生・上昇・噴出にいたる過程を対象として研究が進められるようになった。

 また,それまで主に地質学の中に育ってきた火山研究が,地球物理学・地球化学の分野からも積極的に行なわれるようになったことも著しい特徴である。

 現在,国際火山学協会ではシンポジウムの開催,雑誌発行,世界活火山カタログ・世界火山分布図・火山噴火情報などの編集をはじめ各種の活動が行なわれている。

 日本では,1892年から1925年まで震災予防調査会(注)の事業として主要な火山が調査され,1931年には,日本火山学会が創立され,今日まで活発な火山研究が進められている。

 (注)明治24年(1891年)に発生した濃尾地震を契機に明治25年(1892年)に発足した。この会は大正14年(1925年)までの33年間,震災の調査,耐震建築法の研究,地震動の性質の研究,火山の調査,地震の観測,地磁気の研究など地震に関連した幅広い研究を行った。なお、濃尾地震は地震断層「根尾谷断層」(延長80km,落差6m,水平変位2m)の発生で有名な地震。

(勝井義雄,1976)

クラカトアの大噴火
クラカトアの大噴火 早川書房 2004年1月発行 pp.466
サイモン・ウィンチェスター著 柴田裕之訳

 本書は死者3万6千人、史上最悪といわれるクラカトア島の火山噴火について、噴火の状況、周辺環境と社会に及ぼした影響について述べている。

 クラカトア島はスマトラ島とジャワ島の間に浮かぶ火山島で、1883年(明治16年)5月20日頃、噴火が開始し、8月27日に破局的噴火を起こし、大量の火砕流、火山噴出物、大津波が発生した。

 噴火によって島の大半が焼失し、海中に大型のカルデラが形成された。インドやオーストラリアにも達した爆音、地球を7周したといわれる衝撃波は、噴火が大規模であったことを物語る。

 社会的にはイスラム原理主義の台頭、反植民地主義運動の始まり、海底ケーブル網による全世界的同時報道が行われた。

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